こんにちは。
東京和紙の篠田です。
今回は、和紙に関する小噺を一つご紹介します。
和紙はいろんな意味で奥深いですよ。
『冷やかし』という言葉は「吉原」と「和紙」に関係しているということをご存知ですか?
江戸時代、和紙を再利用するためにすき返すことは日本中で普通に行われていました。
和紙は、大変高級品でした。
一度使用しても何度も再利用していました。
高級品に再使用したり、「落とし紙」と言って現代でいうトイレットペーパーなどにも再利用されていました。
浅草でも同様にすき返していました。
地図で示す通り、江戸時代は浅草・田原町あたりで紙すきをしていました。
台東区雷門1丁目あたりを
「紙漉き町」と呼び、だんだん浅草寺の裏手になる山谷や橋場へ移り、さらに千住や足立区へと移動していきました。
浅草ですいていた和紙は「浅草紙(あさくさがみ)」と呼ばれていました。
使い古した和紙を職人がちぎって水の中に入れて紙を漬けていました。
この作業のことを「冷やかし」といいます。
紙を漬ける時間は24時間という長い時間がかかります。
水の中に漬け終わってから次の作業まで職人はやることがありません。
その時間をつぶすため、職人たちは近所にある吉原に遊びに行ったのです。
ただ、職人はお金をたくさん貯めているわけでもありません。
いろんなお店にいる花魁たちを眺めながらあれこれ妄想して楽しむだけでした。
花魁たちも事情を知っています。職人を見つけてはからかいながら声をかけるのです。
「ああ、また「冷やかし」が来やがった」と…。
これが「冷やかし」の語源です。
なぜ、職人かどうか分かったかというと、足元を見れば一目瞭然でした。
江戸時代の吉原は、田んぼの真ん中にありました。
お金持ちや殿様たちは、みな舟に乗って吉原に向かいます。
当然、足袋や着物は白く綺麗なままです。
しかし、職人たちなどは舟に乗るお金はありません。
田んぼを歩いて吉原に渡っていくので、足元は泥だらけです。
だからこそ、花魁たちは一目で見抜いたのです。
いまでも「冷やかし」は買うつもりはないのに商品を品定めしたり、相手のはずかしい所をからかうことを意味しています。
言葉の意味を知ると、和紙も身近に親しみを感じますね。
※地図や紙漉き図は江戸東京紙漉史考より参照