代表篠田のこれまでの人生⑤(厳しい現実~独立への準備)

みなさま、はじめまして。

東京和紙の代表理事をしております篠田と申します。

こちらの記事ではどうやって和紙に携わることになったかをご紹介したいと思います。

いま、私が代表理事を務めさせてもらい、一生懸命にやっている和紙の仕事。

この和紙の仕事に出会うまで、

和紙の仕事を一生の仕事にすることになるまで、

さまざまなできごと、多くの人との出会いを経験し、様々な人からの支援がありました。

どうして、和紙の仕事を一生懸命にやっているのか、本当にいろいろな人から尋ねられます。

私は、自分が和紙の仕事を一生の仕事として選択するまでのお話をしていきたいと思っています。

そのためには私の生い立ちや人生の話をする必要があると思っています。

今回は、ようやく迷走から脱出して本格的に和紙に取り組んでいくお話です。

それでもまだまだ長い道のりが続きますが…。


和紙の仕事も厳しい

ようやく仕事、介護、和紙の両立ができるようになったころ、和紙の花教室の主宰であり、師匠でもある海部百代先生に呼ばれました。

二度目の入会から本格的に和紙や和紙の花を学びたいのでどんどん教えてほしいと海部先生に懇願していたのです。

海部百代先生は、日本にペーパーフラワーを広めた人物であります。

海部百代先生の著書

もともと海外で流行していたクレープ紙(ひだが入った紙)で作る花を1980年代に日本にもってこられた方でもあります。

和紙で花を作ることを考案し、和紙についての書籍を出版し、和紙に関する知識を日本中に広めていったのも海部先生でありました。

日本全国の和紙の産地にもおもむき、取材をおこない、その取材をもとに出版もいらっしゃいます。

海部先生からは、「和紙の花だけでなく、和紙についてもどんどん学びなさい」と教えられ、さまざまな和紙に関する話も聞かせていただきました。

また、自分がかかわる和紙の研究会にも代理として参加してきなさいと言ってくれたおかげでさまざまな和紙に関わる人たちと知り合うことができました。

時間をみつけては本に書かれている和紙の産地にも出向き、実際に現場を見学させていただきました。

越前和紙の職人さん

現場で職人さんから話を聞かせて頂ける機会をいただき、海部先生に報告していました。

教室以外にも個人的に海部先生から和紙の花の課題を毎日のように提示されそれを毎日こなす日々。

課題を提出しても海部先生からほめられることはほとんどなく、「もっと修行を積みなさい」と叱られるばかりの日々。

それでも、和紙の仕事をする、という決意があり、たまに先生からもほめられることがあって、自分の居場所はここなのだ、ということがこのころの心の支えでした。

海部先生との記念写真

先生からの指導の賜物もあり、2010年位から少しずつ友人などからの依頼で和紙の花を作ることが増えていきました。

依頼された商品はお誕生日祝いのミニブーケ、店舗のウィンドウディスプレイ用を和紙の花で展示することなど多岐にわたりました。

和紙の花でのウィンドウディスプレイ

中には野点?に飾る和紙の花の注文もありました。

季節的には椿の依頼でした。

主催者の方が白い椿を探していて、花屋20店舗以上に問い合わせされたそうだがどこも扱っていなかったそうです。

ただどうしてもこの場所に赤と白の椿を飾りたい、

ということで妥協したくなかったそうです。

たまたま知り合いだった私が和紙で花を作っていることを思い出して依頼してきたのであります。

生花では手に入らない花も和紙ならばサイズも色も要望どおり自由に作れるので、私自身和紙の花を作ることの強みを得たと感じました。

和紙で作った赤椿白椿

同時に他からは痛烈な言葉も言われてしまいました。

外国人でガーデンプランナーをしている人とお話する機会があり、和紙で花を作っていると伝えたところ「偽物を飾るなんて信じられない」と言われてしまいました。

たしかに造花には間違いないが、和紙は自然原料から出来ていることを知らなかったのだろうか。

その方は生の植物が一番と考えていたのかもしれません。

他にもちょっと名のある有名なお金持ちコンサルタントにも和紙の花のことを伝えたら

「需要と供給が合っていないからすぐにやめろ」と言われてしまいました。

別にコンサルをお願いしているわけではなく、雑談の中でいってきたので速攻縁を切りました。

しかし、どうやってこの和紙の花を広めていけばよいかが方法が見つかりません。

店を出すにしても資金も時間もない。

すぐには解決策が見つからず、ひたすら和紙で花を作ったりさまざまな和紙を収集していきました。

独立への準備

介護、仕事、和紙の花制作の日々が続く中、知人からインターネットビジネススクールの案内を頂きました。

さんざん、自己啓発や宗教の勧誘でセミナーなどは懲りていたし、もうセミナー系はご免だとも思っていました。

ただ、話だけ聞いてみると今回はちょっと趣が違う様に感じました。

2012年ころからだんだん特別なスキルがなくてもインターネットのブログやモールで商品を販売している人が多くなってきていました。

しかも企業でなくても個人でも販売して売上を出している人もいました。

ネット系ビジネススクールや起業系スクールでは、化粧品やPCアクセサリーや投資系、不動産系やネット関連の商材をターゲットにしているところが中心でした。

和紙でしかも手作りでというものを扱っている私としては、どこにも当てはまらずそもそも対象から外れていました。

しかし、このスクールでは入園用の手作りバックや料理教室、デッサン教室など自分の商材でもある和紙とイメージしやすい商材で売上を出している人(女性も)が多かったのです。

話を聞いて悩みました。

参加費もちょっと高額だったのもあります。

やっと普通の生活を送れる状態になってきたのとスクールに向けての時間が取れるかどうかでした。

約6カ月間にスキルを学び、商材を販売して100万円の売上をだそうという内容でした。

また騙されているんではないか、詐欺なんじゃないか、結局は身にならずにお金だけ無駄にしてしまうことにならないだろうかなど散々悩みました。

参加費は分割で支払いOKで、セミナーというよりも講師とマンツーマンで相談しながら進められることが魅力的に感じ、ついに入会を決意しました。

インターネットもまったくわからない分野だったのでお金をドブに捨てた気持ちでやってみよう、とにかくくらいついて進めてみよう、と飛び込みました。

イメージ

最初は、まず自分の強みとなるものをいくつか候補を挙げてそれがインターネットとして検索率が高い、つまり購入してくれるお客がいるかどうかを探し、見つかった時点で商材を作り販売するというものでした。

正直当時和紙はあまり検索率は高くありませんでした。

検索してもパソコン用のプリンター用紙や画像の素材集位しかトップページではワードが出てきません。

しかも「和紙の花」となると商売にはならないほどの検索数の少なさです。

人とは違うものをと探して決めたものが逆に自分を苦しめるものとなりました。

それでも和紙から離れることはできませんでいた。

和紙だけでは弱かったので水引も含めて講師に相談したところ、よいのではないかとよい反応を頂けました。

水引は、さまざまな展開をしているスクールや教室が存在していてビジネスとして最低限成り立っていること、2016年のオリンピックの東京招致用のポスターには水引をモチーフにして描かれていました。

当時の招致用ポスター

ただ、水引のスキルや技術、人脈が乏しかったのでどう進めればよいかがわからず、まよってしまいました。

スクールや教室に関してはすでに出来上がった感を感じられて新規で参入するには抵抗がありました。

和紙や水引をどう進めればよいか答えが見えなくなったときに自分のスキルを再度見直してみてはと講師の方からアドバイス頂きます。

私は、自慢ではないが転職回数は人よりも多いです。

7回はめったにありません。

また、あまのじゃくの性格ゆえ人があまりやれない仕事ばかりを渡り歩いてきました。

映像制作会社、イベント制作会社、ディスプレイ制作会社、パッケージデザインとそれなりにスキルを磨いていたので、今でも仕事として生業とできる様な状態になっていきました。

そこで、和紙を使ったペーパーバックワークショップを開催してみることにしました。

和紙のペーパーバック

(その⑥初ワークショップ~父との別れに続く)

(その④和紙の仕事発見~迷走はこちら)