代表篠田のこれまでの人生④(和紙の仕事発見~迷走)

みなさま、はじめまして。

東京和紙の代表理事をしております篠田と申します。

こちらの記事ではどうやって和紙に携わることになったかをご紹介したいと思います。

いま、私が代表理事を務めさせてもらい、一生懸命にやっている和紙の仕事。

この和紙の仕事に出会うまで、

和紙の仕事を一生の仕事にすることになるまで、

さまざまなできごと、多くの人との出会いを経験し、様々な人からの支援がありました。

どうして、和紙の仕事を一生懸命にやっているのか、本当にいろいろな人から尋ねられます。

私は、自分が和紙の仕事を一生の仕事として選択するまでのお話をしていきたいと思っています。

そのためには私の生い立ちや人生の話をする必要があると思っています

今回は、和紙でどんな仕事をしていくかを見つけていくお話です。

自分だけの和紙の仕事と思ってもまだまだ長い道のりがあります。

大きな出来事が起こり、どんどん迷い道に突入してしまいます…。


自分がやるべき和紙の仕事との出会い

当時私は東京都北区の王子に住んでいました。

家の近くには紙の博物館があって、そこに和紙の勉強をするため足を運んだ時のことでした。

博物館の中で和紙の花を作るワークショップが開催されていました。

ワークショップは立体的な花を和紙で作るというものでした。

これまで平面のちぎり絵は聞いたことはあったけれど、立体的な花を和紙で作るのは初めて知りました。

興味をそそり、早速参加してみました。

当時のチラシ

参加者は20人位が集まっていました。参加者には女性だけでなく男性もいたのが驚きでした。

ワークショップでは、「アマランダ」という黄色いかわいらしい花を作るものでした。

色とりどりの和紙が目の前にありどれも素敵に見えました。

約2時間位の内容だったと思うが、夢中で作ったのを今でも覚えています。

そして、完成したときの感動は新鮮でずっと和紙の花を眺めていました。

初めて作ったアマランダ

さっそく知っている花(当時はバラ)を作ってみたいと思い、質問してみると、いきなりそれは技術的になかなか難しいといわれてしまいました。

教えている場所も王子ではなく他の場所というのもあってすぐには入会するということにはなりませんでした。

それでもこのワークショップで体験した立体的な花を和紙で作ることができるということがずっと心の中に残っていました。この心の中の和紙の花に対してくすぶる想いが毎日のように続きました。

半年位色々悩んだけれども、教室に通うことを決めました。

父の病気と介護の開始

ただ、同じころ父が硬膜外血腫で倒れてしまって即入院となってしまいました。

同時に認知症も発症。

父が倒れた当初は、症状がひどく家族のことも自分のことも分からず何もできない寝たきりの状態に。

この先どうなるかわからず全員が将来の不安をかかえる状態で介護生活がスタートしました。

兄はすでに家族をもうけて別に家をもち、私も一人暮らしをすでにしていて実家には姉が住んでいました。

母も少し認知症の気配があったので姉だけに介護を任せることはできない状態。

相談した結果、子供たちが分担で介護をしていくことになりました。

父は手術をうけ、脳の中にあった血栓を取り除きました。

手術後、だいぶ自分や家族を認識するようになったものの、自分ではなにもできない状態のままでの退院、自宅介護の始まりとなりました。

平日も姉の介護のフォローをすることにもなり、有給休暇を使いながら実家と自宅、会社と行き来する日々がはじまりました。

経験された方はわかると思いますが、介護にとられる時間は非常に多く、有給休暇はすぐに全部を消化してしまいました。

勤務していた会社も契機を続けるために雇用形態を契約社員から外注という扱いに変更しました。

外注となるとパートの様な勤務体制にかわります。

仕事内容が会社に行かないとできなかったので請け負った業務の仕事料のみで、交通費や保険などは何も保障されていない状態となってしまい、収入が大幅に減りました。

それでも実家に帰るという選択はしたくありませんでした。

実家での悪夢がよみがえってきてしまうことに対する恐怖があったからです。

仕事も介護もしながら和紙への夢を継続させたかったこともあります。

昔の悪夢のような母との同居にも抵抗がありました。

ただ、生活費だけでなく将来への資金にも不安を募っていくばかりです。

迷走のはじまり

仕事も外注となり、介護の負担が大きくなり、生活の不安が日に日に大きくなりました。

将来の生活のこと、お金のことで悩んでいるところに知人の紹介がやってきました。

「権利収入」「将来安定したお金の支払い」という、今考えると詐欺のような言葉の誘惑に負け、ネットワークビジネスの世界に一歩踏み込んでいきました。

「権利収入」。継続的な収入が保障される。権利収入を手に入れれば介護もしながら和紙の仕事もできると簡単に思ってしまったからです。

自己啓発セミナーで撮った痛い写真

聞いた話は本当に素晴らしい、夢のような世界。

しかし実際は聞いた話のようにうまくいくわけがありません。

普通に仕事も介護もする中で副業をする。

時間に追われる生活の中で副業の時間を捻出することなんて現実的にはできないということは、考えればすぐわかること。

あの頃は、何かにすがらないと怖かったし、何かにつながっているということが将来の不安を和らげてくれていると勘違いしていました。

外注仕事、介護、副業と時間がとられていく中、肝心な和紙の花教室も1回しか行くことができなくなってしまい、退会してしまいました。

ネットワークビジネスをやっている中で、ビジネスには自分自身の内面を学ぶ必要があるといわれ、自己啓発セミナーや新興宗教にも行くようになりました。

自己啓発セミナー、新興宗教と一歩その場に踏み込んでみると、そこにいる人たちが話を聞いてくれ、自分の不安を和らげてくれるように感じました。

そのため、自己啓発、新興宗教にはまり始めてどんどんそこに大金を支払うようになっていきました。

たくさん受講した自己啓発

ふと気が付くとあったはずの貯金もなく、和紙や将来なんていっていられない状態になっていました。

そんな状態の中、父の状態は安定しはじめ、土日だけ実家に戻り介護を手伝うだけの日々になっていきました。

当時の生活は、パッケージデザイン会社の外注の仕事を昼間こなし、夜は派遣会社に登録しレストランなどのウェイトレスのバイト。

残った時間をネットワークビジネスに充てていました。

お金がなくてお金がなくて、それでも支払いをしなければならず、毎日毎日冷や汗を背中にかき、支払の恐怖におびえながら寝れない夜を毎晩過ごしていきました。

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家賃はなんとか払っていたが、税金関係を滞納し始めてついに最後の定期預金や保険を解約し、バイトの日数を減らしても大丈夫な生活を取り戻すことができました。

時間も足りないのでネットワークビジネスはやめたし、自己啓発もやめましたが、まだ新興宗教のセミナーには通っていました。

というのも新興宗教のセミナーとは最後まで宗教とはまったく知らずにいたからです。

たまたま、声をかけられ色々話をしていくうちにさまざまな悩み事を聞いてくれる様になっていったのです。

世間のことをよくわかっていなかった私はどんどん信頼してしまい、勧められるセミナーに参加するようになっていきました。

おそらく、全てがうまくいかなかったからこそ目に見えないものにすがっていたんだと思います。

迷走からの脱出

新興宗教の会合は、ビデオを見せられて感想文を書いて夕ご飯をご馳走になって雑談して帰るというものでした。

今考えれば色々変なことはありました。世間で聞くような高い金額はとられることもなく、ご飯もたくさん食べさせてくれたので、金欠状態だった私には救いだったのです

あとは新約聖書を毎日読みなさいと伝えられ、聖書の中で気づいたメッセージとなる文章を書いて提出といった程度でした。

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怒られることもなく、提出するだけで評価されるので自分としては居場所があると感じていたし、居心地もよかったのです。

また、だんだん冷静さを取り戻し、本格的に和紙に向き合おうと思い和紙の花の教室に再び通い始めました。

自然とさまざまな人脈も増えていき、友人にセミナーの話をしたら「それ新興宗教だよ」と教えてくれました。

セミナーを受けるまえにネットなどで調べたのですがまったく変な情報は検索されなかったからこそ参加し続けていました。

ただ、友人の指摘をもとに違うワードで検索したら山ほど宗教名が出てきて、ようやくだまされていたことにようやく気付いたのです。

これまでいろいろあった人生で宗教を信じることはできない理由があったのでその日からセミナーにも行かなくなりました。

本当にさんざんな30代を過ごしたと思います。

新興宗教であると気づいたその日以降、二度とあのころには戻りたくないしあの生活には戻らないと固く誓ったのです。

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(その⑤厳しい現実~独立への準備に続く)

(その③和紙との出会いはこちら)