代表の篠田のこれまでの人生①(出生~高校卒業まで)

みなさま、はじめまして。

東京和紙の代表理事をしております篠田と申します。

こちらの記事ではどうやって和紙に携わることになったかをご紹介したいと思います。

いま、私が代表理事を務めさせてもらい、一生懸命にやっている和紙の仕事。

この和紙の仕事に出会うまで、

和紙の仕事を一生の仕事にすることになるまで、

さまざまなできごと、多くの人との出会いを経験し、様々な人からの支援がありました。

どうして、和紙の仕事を一生懸命にやっているのか、本当にいろいろな人から尋ねられます。

私は、自分が和紙の仕事を一生の仕事として選択するまでのお話をしていきたいと思っています。

そのためには私の生い立ちや人生の話をする必要があると思っています。

多少?壮絶な人生を送っておりますが、こういう人間が存在して和紙に携わっていること、和紙の仕事が天命だということを悟ってからの紆余曲折を知って頂ければと思い、綴らせていただきました。


生まれ~小学校時代

私は、埼玉県川口市の出身です。

父は大学教授で、母は音楽の高校講師の家庭に、上から3番目として生まれました。

3460gにて誕生

普通の家庭だったので、和紙を仕事にすることは幼い頃からの願望ではありませんでした。

小さいころはアイドルや女優などだれもが夢見る普通の夢を持っていました。

3才頃、毎日のように友達と2人で公園でピンクレディーのまねをしていました。

3歳ころのひな祭り

同級生のお姉ちゃんからの過激ないたずらをされたりもしていましたが、本当に普通の子供として平和な環境の中、すくすくと育っていました。

自分で言うのもなんですが、とっても可愛い子供だったのです(^^

桜満開の時期に家族で近くの公園に遊んでいた際に、高校生の写真部の女の子が可愛い私を写真に撮りたいといったそうです。

家族はなんとか小さな私を笑わせたり、楽しい雰囲気を出せる様にフレームの後ろには苦労したそうです。

なんと高校生たちが撮った私の写真がコンクールで入選したと後日パネルにして家に報告しにきました。

高校生が撮った入選写真

今でも私の家や実家に初々しい姿の私が飾られています。

ところが、そんな環境も幼稚園に通い始めると大きく変わっていきます。

幼稚園に入園してしばらくたつと、同級生からのいじめがはじまりました。

その当時、いじめられているというよりもからかわれている、という感覚しかありません。

いま振り返ってみるとあれはさいしょのいじめだったと思います。

そんな私にとって、家にいるおばあちゃんが味方でした。

おばあちゃんといれば嫌なことも忘れられるし、安心する。

そんな心のよりどころでした。

そんな幼稚園生活も大きなけがもなく、大きな騒動もなく終了し、小学校に入学。

小学校低学年でもいじめはありましたが、そこまでひどいものでもありませんでした。

家に帰ればおばあちゃんとお話して自分の居場所、存在意義を確認して精神のバランスをとっていました。

8才頃のスキー旅行

ところが、2年生となったころから私に対するいじめが激しくなりました、

通っている小学校は地元だったのですが、いろいろな習いごとを毎日のようにかよっていたこと、地元ではそのような習いごとをしている家庭が少なかったこと、母親がちょっと変わった人だったこともあり、いじめの対象となってしまいました。

私に対するいじめ、嫌がらせは次第に学年で有名になりました。

学校でのいじめがはじまったのと同じころから母親のしつけもきびしくなりました。

学校ではいじめ・嫌がらせ、家に戻れば母親の厳しいしつけ。

そして心のよりどころだったおばあちゃんが倒れてしまったのです。

このころから精神的に本当に苦しい時期がはじまりました。

私には兄と姉がいますが年が離れていて2人とも家を出ていたため、物心ついたころには子供は私しか家にいませんでした。

母親のしつけは大変に厳しく、モンスターペアレンツ状態。

言葉だけでなく暴力も日常茶飯事でそれはそれはきつい毎日でした。

小学校5年生のときにクラス替えが行われ、友達もでき、いじめ自体減りましたが、それでもクラスでは嫌われものでした。

中学時代

中学に入ってもいじめ・嫌がらせと家庭での厳しいしつけは続きました。

学校でのいじめは自分が成長したこともあり、無視していればどうにかなりました。

学校がない時期や休みの日は家庭で時間を過ごします。

友人の母親と話すこともあり、自分の母親は一般的にいわれる母親像とは違うということもわかってきました。

このころ、学校にも家庭でも自分の居場所がなくて、この生活がまだまだ続くことを悲観して自殺することも考えるようになりました。

短い人生なのに学校ではいじめられ、家庭では厳しい態度と言葉によるしつけ。

しつけという名の暴力もまだ続いていました。

中学2年のある日、私自身が爆発してしまいました。

その爆発がひどかったこと、たまたま姉が自宅にいて私の異変を察知し、姉の部屋にその日は引き取られ、姉といろいろなことを話しました。

姉との話、今後の人生自分自身で切り拓くしかないということを覚悟した私は、私自身の生き方も考えるようになり、親のいうとおり・思うとおりの人生ではなく、自分自身で生きていこう、と考えを変えました。

最後の部活での一枚

この日から私は私自身の将来の夢を現実していくことを第一に考えていくことにしました。

最初の夢はメークアップアーティスト。

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中学では演劇部に所属し、舞台に上がる部員のメイクをしていたのがきっかけです。

小さいころは表舞台に出ることに夢を見ていました。

演劇部に所属して活動しているうちにだんだん裏方の面白さがわかってきました。

将来の進路もメークアップにつながる方向と考えていたのですが、当時はカタカナ職業が流行して大人気の職種。

調べていくと、テレビなどで活躍している人はほんのわずかで大体が美容院やデパートでの店員が大半ということを聞き、なくなくあきらめることにしました。

高校時代

自分の人生の方向性を変える、と決めた中学時代。そして高校に進学します。

進学先は地元の高校。そこはいわゆるヤンキー校。

普通に学校に通っていたにも関わらずまたもやいじめの対象となってしまいました。

そんなヤンキー校の中で夢見たのはデコレーターでした。

デコレーターというのはディスプレイを装飾する職業で、デパートなどのウィンドウを装飾するのがメインとなります。

ウィンドウディスプレイ

これも中学時代の演劇部での小道具作りなどが影響していたのかもしれません。

このとき、高校生となっていて先生やいろいろな人に職業に関する質問をできる環境になっていました。

デコレーターになるためにはどうすればいいか、調べていたところ美術が得意でないとなかなか仕事につけないという話を聞きました。

私の高校には美術の授業がなかったため、予備校に行かなければ美術の勉強ができません。

小さな夢ですが、その夢を実現するべく美術大学に進学するため慌てて美術の予備校に通いはじめました。

当時、私は絵などまったくの苦手で中学校までは美術の通信簿は2でした。

いま考えると、美術が苦手なのに美術大学に進学したい、と思ったこと自体、無茶なことだし、無謀なことです。

それでも私にはどうしても美術大学に進学して夢をかなえるんだ、という考えしかありません。とにかく予備校に行くことにしました。

とはいうものの、美術の成績がわるい人間が予備校に行けば当然のごとく落ちこぼれです。

まわりは芸大や武蔵美、多摩美などを目指して小さなころから美術を学んできたような生徒ばかりの中、一人幼稚園児、小学校低学年生のような絵を描いているのです。

基本が出来ていない為、毎週ある成績評価では毎回クラスでビリでした。

それでも私は美術大学に進学したい。

夢をかなえるためにどうしても美術大学に進学したかったので、毎日予備校に通い、寝る間を惜しんで課題を仕上げる毎日を過ごしていました。

当然学校の勉強はそっちのけ。そのため、学校の成績はどんどん落ちるばかり。

それでも夢を叶えるために必死だったので毎日泣きながら予備校に通っていました。

母親との関係は相変わらずでしたが、私自身がほとんど家にいないし家にいたとしても部屋に閉じこもって課題をやっているので私が相手していませんでした。

高校生となり、だんだん私も体格が大きくなってきたので暴力はなくなっていたこともあります。

学校の成績も悪くなり、美術のセンスもない中でどこの大学も受験できないのではないか、という恐怖と戦っていました。

そんな中、たまたま小論文テストと絵の提出だけで推薦がとれる美術の短大を見つけることができました。

夢に見ていた美術大学。早く仕事に就きたいと思っていたので、短期大学がベストでした。

その学校を第一志望と決め、絶対に現役で合格する、とその瞬間に決めました。

小論文も高校の授業でも予備校の講義でもやっていなかったし、美術の予備校以外に小論文のための塾などに通える時間もありませんでした。

そのため、高校の国語の先生に泣きつき小論文の授業をお願いしました。

高校では美術の授業はありませんでしたが、学校に美術部があり、美術講師もいたのでそちらにも泣きつき、美術室の端っこで課題となっている絵を仕上げていきました。

私の高校は美術系大学への進学にはまったく適していない環境でした。

その環境の中でどうにかこうにか工夫をし、国語の先生や美術講師の助言、支援もあってなんとか美術短大の推薦に合格することができました。

自分自身が目標を決めて、その目標を達成するために努力し、周りからの支援もあっての美大の合格。やっと夢へのスタートラインにたどりついた気分でした。

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(その②短大時代~社会人時代までに続く)